私の仕事/染裂澤田.homepage.jp

染裂澤田.homepage.jpHOME > 私の仕事

私の仕事

仕事は、何ですか?と聞かれて、繊維製品製造卸です
と、答えるとそれっきり何の反応も無く、話がそれで終わってしまう事がよくあります。
呉服屋ですとか、友禅作家ですとかタオル屋です。と一言で
家業が言えれば、どんなにすっきりするだろうと
思っていました。
染の世界は、分業化されています。その方が、効率よく
安定し、増産できるからです。
そして、責任も細分化され不上がりが出た場合、
調査がしやすいと言う事です。
このお陰で京都は、あたかも街全体が工場であり
ベルトコンベアーに乗せるがごとく物が出来上がる
まさに職人の街です。
しかしその反面、細分化された責任を逆手に取り
責任の押し付け合いが起こります
しかも全責任を負う問屋が、真っ先にクレーム逃れ
をしています。
着物が売れなくなるとこの現象が起き、そのしわ寄せが
もろに、製造に携わる人に来るのです
私がこの商売に入った時は、もう末期的な症状でしたし
家業を子供には継がせたくない、という人達ばかりでした
違った切り口で技術を生かし、残す方法は無いかと
和と洋を組み合わせたり、他業とのコラボレーションとかを
試みておりますが、まだまだ利益とは結びついてはおりません
 
ものづくりという事に携わり、色々な失敗や喜びを通して
最近つくづく思うのは、
無から有を成す、形あるものを生む製造業には、
そのものに念がこもるという事です
仕事を通じて沢山の不思議な体験をして解った事は
責任の重さだけ念が宿ると言う事です
もうこれは、私の哲学というより皮膚感覚に近いものです

京都の染色製品は、きれいだけれども力が無い
と感じるのは、私だけでしょうか
力あるものは、一人で完結する作家や職人の物だけです
しかしそれは、産業ではありません
細分化された責任を一手に引き受け、薄められた念を
充填する。それは携わる、物言わぬ作り手の気持ちを、
代表して表現することであり、労力を無駄にしないための
すり合わせをしたり、きめ細かな気配りを通して
込められる物が、一言で表現すれば
念を入れる
これが無ければただの物、なんの意味もありません